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(財)日本野鳥の会 諏訪支部

鳥卵標本の作者紹介

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標本を作った高山忠四朗さんについて
(1901年-1993年/明治34年-平成5年)

 高山さんは理科教材など扱う高山理化学機械店を創業、かたわら戦後(社)日本山岳会信濃支部を結成し支部長を十五年間、また長野県山岳協会の初代会長を努めるなど山岳活動に尽くしました。毎年上高地で開かれる同支部主催の「ウェストン祭」の運営も中心となって運営。長野県自然環境保全審議会委員、国立公園指導員も務めていました。

 その高山さんが農商務省の鳥獣調査員を行った義父の鼎二(ていじ)氏の後を受けて調査員となり、鳥の調査や採集をしたのは戦前の一時期でした。

 現在では捕獲、採集が厳しく規制されている鳥も明治期にはトキ、コウノトリ、イヌワシまでも狩猟鳥であるなど、今では考えられない時代もあったのです。大正、昭和初期でも、研究のためなら一般鳥類の捕獲も容易で、幼鳥や卵まで採集できたそうです。

 この卵の標本は、戦前に同省の調査の一環で鳥卵を研究した仁部富之助らに協力して採集した一部です。標本作りは、義父が明治の末にイギリス人からもらった専用の道具を使い、一つずつ作ったもので、色はややあせたとはいえ今なお模様もはっきりしています。

 また鳥の採集も行っています。この目的は農林業にとって害虫を捕食したり、時に食害の対象となる鳥の食性を科学的に把握することが望ましいとした、当時の農省務省農務局の応用鳥学なるもののためでした。高山氏は鳥獣調査員として通年にわたり依頼された各種鳥類を捕獲して、消化器管をホルマリン漬けにして中央に送っていました。

 このほか戦後、鳥類学者で伯爵の清棲幸保(きよすゆきやす)氏を長期わたり北アルプスへ案内し、観察記録と採集を行っています。これによって著されたのが日本初の高山の鳥の「北アルプスの鳥」です。山岳活動や松本市体育協会副会長など体育関係では知られた高山氏ですが、鳥とのかかわりについては余り知られていませんでした。